黒の衝撃とは?意味・歴史・ファッションへの影響を徹底解説

ファッション史

こんにちは、Gochoです。
ファッション楽しんでますか?

突然ですが「黒の衝撃」という言葉をご存知でしょうか。
モード系のスタイルを好まれる方や、ファッションに造詣が深い方にとっては既知の言葉かもしれません。

現代のファッションにおいて、黒は性別や年代を問わず、最も多くの人に選ばれている色と言っても過言ではないでしょう。

しかし、1970年代のファッションの主流は、ヒッピー文化や自然回帰の影響を受けたオレンジやマスタードイエローといった鮮やかな色、あるいはカーキやブラウンなどのアースカラーでした。

なぜ黒はここまで人々に親しまれる存在になったのでしょうか。
その大きな転換点の一つとされているのが、1980年代初頭に起きた「黒の衝撃」です。

本記事では、ファッション史の視点から、この「黒の衝撃」がどのように黒の価値観を変え、現代の装いへと繋がっていったのかを整理していきます。

「黒の衝撃」の定義と誕生背景

1981年のファッション革命「黒の衝撃」

基本定義

「黒の衝撃」とは、1981年のパリ・コレクションにおいて、日本のファッションデザイナー川久保玲と山本耀司が発表した、黒を基調とする非西洋的なデザインが、当時の西洋モード界に与えた革命的な衝撃と一連の潮流を指す言葉です。

装飾性や華やかさを重視していた従来のファッションに対し、日本の「わび・さび」や「陰翳礼讃」といった美意識を提示したことで、アンチファッションの象徴として既存の価値観を大きく変革した出来事とされています。 

誕生背景

キーワードは「反発」、「反逆」、「反骨精神」です。

当時の西洋のモードは、

  • 「人間の身体をいかに美しく、官能的に見せるか」という身体賛美文化
  • 戦後の高度経済成長=豊かさを誇示する時代

であったことから、女性の身体を強調するボディコンシャスなシルエットや、豪華でカラフルなスタイルが主流でした。

日本の2人のデザイナーはこの「美」の概念に対して疑問を抱いたため、既存のモードへの反発として、装飾性を排除し、匿名性や力強さを表現する「黒」を選んだのでした。

「黒の衝撃」を起こしたデザイナーたち

山本耀司

日本のファッションデザイナー山本耀司
出典:https://shijinblog.hatenablog.com/entry/2016/04/19/191405

自身の名を冠した「Yohji Yamamoto」をメインに、「Y’s」、「Y‐3」など多数のブランドを展開する日本を代表するファッションデザイナー。

彼は黒を「謙虚でありながら傲慢」そして「Lazy and easy(怠惰で楽)だが、神秘的」と表現し、その相反する性質を愛しています。

彼のデザインは、

  • 身体のラインを覆い隠すシルエット
  • 布の分量を活かしたドレープによる動き
  • 装飾を極限まで削ぎ落とした構造

が特徴で、先述したボディコンシャス全盛の時代にはまさに反骨精神溢れる提示だったのです。

彼は「完璧は醜い」と語り、整い過ぎた完成形ではなく、不完全さの中にこそ宿る美を見つめています。

当時、洋服において主流とは言えなかった黒は山本氏にとって「否定」ではなく、あらゆるものを「受け入れる」色であり、日本的な「侘び寂び」や「余白の美」と言った自身のファッション哲学が色濃く反映された彼のモノづくりが「黒の衝撃」へと繋がっていきました。

川久保玲

日本のファッションデザイナー川久保玲
出典:https://tenpomap.blogspot.com/2009/05/blog-post_05.html

メインである「Comme des Garçons」を軸に、多数の派生ラインを展開する日本を代表するファッションデザイナー。

「完璧さは退屈だと思う」と語る彼女もまた、当時の西洋的美意識に疑問を感じ、それらへの挑戦と否定から「黒」を提示しました。

彼女のデザインは、

  • ゆったりとした非構築的なシルエット
  • 穴開きや断ち切りのようなダメージ加工
  • 左右非対称

が特徴で、「伝統的な女性らしさ」を破壊し、社会や慣習への反骨精神、強く自立した女性像を表現したのです。

彼女は黒、ひいては服を、単なる装飾品ではなく、自身の姿勢や意思を社会へ示すための手段であると捉えました。

完成や調和を前提とする美に対し、不完全さや違和感をあえて露出させる。
そのための余白として黒を用いることで、見る者に解釈を委ね、「美とは何か、服とは何か、社会とは何か」を問い直すアプローチをしたのです。

「黒は色ではなく、態度である」と表現する彼女の提示した黒が、日本的な「詫び寂び」や「陰翳礼讃」と呼応し、「黒の衝撃」へと繋がっていきました。

当時の世界の反応

1981年のパリ・コレクションで提示された日本人デザイナーによる黒を基調とした服は、当時の西洋モード界に大きな混乱と衝撃をもたらしました。

黒一色で身体のラインを強調せず、装飾を排し、穴開きや断ち切りを施したその姿は、従来の「美しく、豊かで、華やかであるべき服」という価値観から大きく逸脱していたからです。

当時のメディアや批評家の中には、それらの服を揶揄するように
「ボロルック(Boro Look)」と呼ぶ者も現れました。
※ボロ=ぼろぼろ

完成度や高級感を重視する西洋的美意識から見れば、それは「未完成」や「貧しさ」、「破壊」と映ったのでしょう。

一部では、原爆が落とされた広島をとって
「ヒロシマシック(Hiroshima Chic)」という、極めて過激で否定的な言葉さえ用いられました。
黒をまとい、身体性を拒否したその姿は、戦後の日本に対する西洋の無意識のイメージと重ね合わされ、「暗く、陰鬱で、異質なもの」として受け止められたのです。

しかし、その“理解されなさ”こそが、彼女たちの提示した黒の本質でもありました。

美しさとは何か、服は何のために存在するのかという問いは、強い拒絶とともに西洋社会へ投げ込まれ、やがて評価と再解釈の対象へと変わっていきます。

当初は批判や戸惑いの声に満ちていたその黒は、次第に「新しい美の可能性」として認識され、モードの価値観そのものを揺さぶる存在となっていったのです。

「黒の衝撃」がファッション界に与えた影響

1982年のカラス族
出典:https://note.com/kinmugitohurugi/n/n03e267f96851

「黒の衝撃」は以下のような影響を与えました。

評価への変遷

「黒の衝撃」によって提示された価値観は賛否両論で、当初こそ既存のモードに対する
「アンチ・モード」として批判的に受け取る声もありましたが、
次第に、身体と服の間の空間を意識した独自の美学として認められていき、モードの新たな基準として定着していきます。

カラス族の登場

日本国内でもその衝撃は瞬く間に広がり、黒一色の表現が「東洋の神秘」を感じさせるとして1982年には「カラス族」と呼ばれる黒づくめの若者たちが登場しました。

彼らは単なる流行として黒を身にまとっていたのではなく、同調や過剰な装飾を拒否する態度として黒を選び、ファッションを通じた自己表現を体現していました。

まさに黒が“個性を消す色”から“意思を示す色”へと転換した潮流が窺えます。

多くのデザイナーへの影響

この思想は、後続のデザイナーたちにも大きな影響を与えます。

  • 「マルタン・マルジェラ」の匿名性や解体・再構築のアプローチ
  • ジョン・ガリアーノ」の演劇的でありながら既存の美を逸脱する表現

にも、「黒の衝撃」がもたらした価値観を垣間見ることができます。

彼らも方法こそ異なれど、ファッションを単なる装飾ではなく、概念や物語を語るメディアとして捉える姿勢を共有しているのでしょう。

こうして「黒の衝撃」は、一時の前衛的表現に留まることなく、現代のモードを形作る思想的な基盤となり、私たちが当たり前のように黒を選ぶ現在へと繋がっていったのです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

黒の衝撃とは、
単なる色の革命ではなく、価値観そのものを揺るがす革命ということが分かりました。

  • 美とは何か
  • ファッションとは何か
  • 流行とは従うものか

これらの問いを投げかけたセンセーショナルな出来事だったのです。

私たちが現代において当たり前に「黒」を着ている背景には、
40年以上前のこの「衝撃」が根底にあると思うと、なんとも感慨深いですね。

それでは!

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